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牡鹿半島でのお手伝いと3.11に想うこと

先週土曜日に援人さんのボラバスに参加させてもらって、牡鹿半島に行ってきました。
11月以来ぶりのガテン系です。

石巻市の先端にある牡鹿半島は、行政の手が行き届いておらず、まだまだ瓦礫が残って
手つかずになっている場所がたくさんあります。鮎川港のボランティアセンターも、
そのスタッフさえもボランティアの人たちで運営されています。


今回のお手伝いは、鮫浦で五十鈴神社と熊野神社の階段整備でした。
高台にある小さな神社で、お社は無事でしたが、お社に向かう階段がなくなっています。
この鮫浦に住む方の家は全て流されてしまい、今は仮設住宅で生活されていますが、
この神社に今もお参りにくる地元の方々がいます。お年寄りもいます。

少しでも登りやすくなるようにと、道幅が狭くなっているところは土を削って広げ、
ずれた石を直し、石がなくなってしまった箇所には土嚢を積んで階段状に。

3.11を迎える前に、地元の人たちにとって大切な神社の階段が少し整ったことも、
そんなお手伝いができたことも良かったなと思います。


この日の午前中は雪が降っていました。
ボランティアセンターでオリエン時に見せてもらった鮎川港を襲った津波の映像。
あの日の牡鹿も同じような雪が降っていました。

私たちは、何枚も重ね着して、カイロも持ち、しっかり寒さ対策をしてここに来ています。
でもやはり雪の中での作業は寒く、だんだんと手足が冷えてきます。

あの日、着のみ着のままで避難された方々。
もしかするとこの神社に避難した人もいるかもしれません。
電気・ガス・水道全てのライフラインが止まり、余震が続き、津波も翌朝まで来ていて、
真っ暗な中で、全く情報がないまま、救助を待つこと。水に浸かった方もいるはず。
どれだけ寒いか、どんなに怖いか、全く想像もつきません。
当事者ではない私が解るはずもなく、それでも考えているだけで涙が出てきます。


震災から1年。もう1年。まだ1年。色々な想いが巡ります。

私は東京で今年の3.11を迎えました。
たまたま家族全員揃ってのランチ。この日だから集まったのではなく、
ちょっとしたきっかけに、姉の勘違いが重なっての出来事だったのですが、
この大切な日に家族と一緒にいられて幸せだなと感じています。

3.11をどう過ごそう、東北にいたいなとか、都内でセレモニーに参加しようかなとも、
考えてもいましたが、結果として普段通りに過ごせて良かったです。
3.11は一つの節目ではあっても、区切りとは違う気がしています。
この日を境に何かが変わるものではないし、私の中では3月10日も3月12日も同じ気持ちで、
これまでずっと持って来た想いがそのまま明日にも繋がっているから。
なんとなく自分の中で無理に3月11日を「特別な」日にしようとしていたように思います。


この一年は私にとっても大きな変化の年でした。
去年3月ブログを立ち上げ、それまで一言も発したことのないTwitterやFacebookを駆使し、
情報を集めるだけでなく、自分から発信することも始めました。
4月に人生初の災害ボランティアに参加し、それから月1~2回の頻度で東北へ行くことに。
過去に利用したことのない夜行バスも、今や欠かせない交通手段です。
スコップやツルハシを持ったり、土嚢の扱い方も教わりました。
普段だったら知り合うこともない方とも出逢え、Twitterでもたくさんの人と繋がりました。
色々な意味で初めて尽くしの一年だったと思います。

でも、いまだに答えを見つけることのできない質問。私に何ができる?
何度足を運んでも、私自身が役に立ってるとはなかなか思えないし、それどころか、
大自然がたった1日で引き起こしたことに対し、人間ができることの小ささと
自分の無力さを、痛いくらいに感じて帰ってきます。
私が行くことに意味があるのかさえも分からず、落ち込むことも度々です。

それでも東北へ行きたいと思うのは、そこに人がいるから。矛盾しているけど、
自分にできることがないから、逆に何度でも行きたいと思っていたりします。


東北の復興はこれからが本番。もっともっと様々な形でサポートが必要になります。

ようやく瓦礫が片付いて、復興に向け少しずつ動き始めた場所もあります。
牡鹿のように、まだ復旧にも時間がかかっているところもあります。

片付けられた瓦礫も、街の中に積み上げられているだけです。
瓦礫が無くならないと、工場や建物などの建設なども進まず、街が戻りません。

今、牡鹿半島ではワカメの収穫のピークを迎えていますが、加工する人が足りなくて、
アルバイトやボランティアを募集しているそうです。
先日お話を伺った大槌町の方は、町の主要産業である加工工場をみんなで再建したけど、
加工する魚が入ってこない。工場があっても仕事がないと仰ってました。
人手が足りない牡鹿、魚のない大槌。
仕事をしたくても仕事ができない。これはあちこちで起きているのだと思います。

もともとの高齢化&過疎化に加え、仕事がないからと町を離れる人も増えています。
漁港が早く戻らなければ、魚が獲れなければ、町はそのまま衰退してしまいます。

この一年必死で頑張ってきた人たちもいます。
だけど、その中にも、先が見えないことへの不安を感じている人もたくさんいます。
仕事が見つからず、失業保険や生活保護で何とか生活している人もいます。
一方で動き出せずにいる方もいます。アル中やDVも増えているそうです。

子どもたちの教育環境も整っていません。
間借りした校舎や仮設の校舎で授業を受ける子どもたちもいます。
仮設住宅には勉強をする場所のない子どもたちもいます。

福島には外で遊べない子どもたちがたくさんいます。
家族や友達と離れて避難して、集落がバラバラになってしまったところもあります。

地域によって個人によって、それぞれみんな事情が異なります。
だからサポートの仕方もいろいろ。


私としては、今はただ、小さなアクションを一つ一つ積み重ねながら、ゆっくりでも、
できるだけ長く東北に関わっていけたらと思っています。
早く東北に元気と笑顔が戻ることを願って。

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鮫浦の五十鈴神社。右は完成した土嚢階段。

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五十鈴神社から見たエメラルドグリーンの海と、その反対側に広がる光景。
左の写真の白い固まりは熊野神社の階段の麓で、援人さんが2月に作った土嚢階段。

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ボランティアセンターの向かい側で頑張ってる「おしかのれん街」
お昼に食べたクジライスも、夜のお寿司もここのお店から。美味しかったです。


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