東北産を買おう。食べよう。 東北に行こう。 東北の経済活動を応援します。最近始めたプロジェクト『おちゃっこ隊』の活動も紹介しています。

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おおつち ありがとうロックフェスティバル <4/4>

大槌町のガイドをしている臼澤さんに、震災当時の様子、津波のこと、
町のことなどのお話を伺い、町長を含む大勢の職員が被害に遭った町役場で
手を合わせる機会もいただきました。

大槌は津波の町です。この言葉から始まった彼の話。
大槌は昔から何度も何度も津波に遭っているということ。
だから町の人たちは皆、津波が来ることを知っていたこと。
逆に津波に慣れてしまっていたこと。

町役場の場所から海が見えます。しかし、住宅が立ち並んでいた時には海は見えず、
海が近いことさえも忘れてしまっていた。

津波はコップの水が溢れるように近付いて来た、と仰ってました。

町役場の時計は、3:24で止まっています。津波が来た時間。
町役場のそばにある建物の時計は2:49でした。おそらく地震の揺れで止まったもの。
この間30分。
大槌町は海と山に囲まれていて、高台も比較的近くにあります。
30分あれば高台まで逃げれたはず。

しかし、高台への遊歩道は急勾配で、お年寄りが登るには厳しい。
お年寄りは高台の麓にあるお寺に逃げ込んだのだそう。
実はこのお寺の辺りは「ここまで津波が来たら大槌は終わる」と言われていた場所。
逆に言うとここまでは津波は来ないはずだと思われていたこと。
実際には、今回の津波はそこをも呑み込むほどの大きさで、遥か1kmほど
内陸まで到達したのだそう。


大槌町は、現在6mの堤防を14.5mにする計画があって、これを聞いたおばあさんが、
刑務所の中に町があるみたいだと言ったのだそう。
今まで綺麗な海が見えていた町が、高い塀で囲まれてしまう。

どんなに高い堤防を作っても、結局は人間の作ったものは自然には勝てないと、臼澤さん。
それよりも大事なことは、まず逃げること。大切な人の手をしっかり握って逃げること。
そして、そのことをきちんと伝えていくことが重要なんだと。
臼澤さんの言葉は、ズシンと心に響きました。


今、大槌では町役場を残すか残さないかが協議されています。
他の被災地でも同じような話を聞きます。
町にはその姿を見るだけでも辛い思いをする人たちがたくさんいます。
しかし、子どもや孫、後世に伝えるには、きちんと残すべきではないか。
象徴的な物・大きな物には、それだけ伝える力もあるのもまた事実です。

これはとても難しい選択。答えを出すにはそれなりの時間も必要だと思います。
私としては、まだまだ大きな傷を抱えた人がいる間は、一刻も早く撤去して
気持ちを楽にしてあげたいし、でも、広島の原爆ドームがそうであったように
長期的には残す価値があるのではと思っています。
できることなら、建物ごとどこか被災地ではない場所に移して、10年後20年後に
元の町に戻せたらと、そんな妄想さえしてしてしまいます。

町の人たちは、様々な葛藤の中で、残すかどうかの決断を迫られています。


私はかつての大槌町を知らないのです。名前すら震災後に初めて知ったくらい。
そんな私には、過去の写真や映像がとても有り難く、それを頼りに、
以前はどんな町だったのかなと想像してみたりします。
臼澤さんも、いくつかの写真を見せながら、町の憩いの場であった公園などの
説明をしてくれました。

大槌町に興味を持つきっかけとなった「槌音」
大久保監督という大槌町出身の若い監督が制作した映像。
震災前のお祭りの様子が映ったビデオテープと震災後に自身で撮った町の様子。
対比させるように映し出すその映像を見て、その時に大槌の人の話も聞いて、
すごく大槌に行ってみたいと思いました。

だけど、今回町の人から、槌音を見た時に気持ちが悪くなったと聞いた時は、
彼らの心の痛みはとても想像もつかないものだと、改めて気づかされました。


現地に行って、自分の目で見て、感じられることは大きい。
何もない町の中に立つと、胸がぎゅっと掴まれたように苦しくもなるけど、
それでも何度足を運んでも、実際に体験していない私には、見える部分からだけでは
分からないことの方がずっと多い。

だから、町の人の生の声だったり、震災の様子を聞けることは、すごく貴重です。
そういう話はすぐ涙が出て来ちゃうし、話を聞いたからと言って、彼らの気持ちを
理解することは到底できるはずもないのだけど。
でも、町のことを知るとその町が好きになるし、町の人と関わるとその人たちに
逢いにいきたくなる。

今回も逢いに行きたい人たちが増えました。
だからまた大槌へ行きますよ。

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おおつち ありがとうロックフェスティバル <3/4>

おおつち ありがとうロックフェスティバル」(ありフェス)は、
応援してくれる世界中の人たちへ「ありがとう」の気持ちを伝えたくて
大槌町の若者を中心に企画され、町の人たちを巻き込んでいったそう。

当日は高校生が焼いた2000枚のスマイルクッキーが配られ
漁師さんたちからはウニが1000人分ふるまわれました。
ありがとうロックフェスティバルの最後を飾った600発の花火は
大槌町の人たちから集まった寄付で打ち上げられたもの。

自分たちの手で全てやりたいという想いから、当初は外部からのボランティアも
受け付けないつもりだったようです。

ありフェス実行委員長の古舘王士さんのメッセージ。熱い想いが伝わってきます。
http://www.arifes.jp/message.html


ファイナルのステージ、「RIA+ノリシゲ」さんのライブを見ることができました。
最後の最後の曲「歩きましょう」は、震災直後に大槌町で作られた歌だそう。
心にすっと入ってくる優しい歌詞とメロディの、とても素敵な歌でした。

大槌高校のブラスバンド部の子たち、イベントの運営スタッフたち、関係者全員が
ステージに集まってのライブは、会場のエネルギーもすごくて、歌の内容はもちろん、
その雰囲気にすっかり聴き入ってしまったし、思わず泣いてしまいました。

その時の映像。『歩きましょう』は34:40~。


Video streaming by Ustream
ありフェスは、全てが初めての中で、何もない中で、大槌町の人たちがみんなで
作り上げたイベントです。
とにかく若者が声をあげて始まったこと。町の人たちを中心に運営できたこと。
イベントの規模とか質以上に、実施できたことの意味はもっとずっと大きいです。

後夜祭のBBQの時にサプライズとして、実行委員長の古舘さんへ贈られた言葉。
「王士君 StandingStanding ありがとう。この大槌は若者が創る。」
この言葉にたくさんの想いが集約されている気がします。

ありフェスのお手伝いができたこと、この瞬間にこの場所にいれたこと、
とても幸せだなって思います。

今回のありフェスは第0回。来年以降も期待です。


朝日新聞デジタルで、ありフェス実施までのストーリーが紹介されています。
たくさんの人たちの想い繋がって、ありフェスは生まれました。
3.11その時 そして: ロックフェス・1
3.11その時 そして: ロックフェス・2
3.11その時 そして: ロックフェス・3
3.11その時 そして: ロックフェス・4
3.11その時 そして: ロックフェス・5
3.11その時 そして: ロックフェス・6
3.11その時 そして: ロックフェス・7
3.11その時 そして: ロックフェス・8
3.11その時 そして: ロックフェス・9

おおつち ありがとうロックフェスティバル <2/4>

吉里吉里(きりきり)海岸は、大槌町で唯一残った砂浜です。
浪板(なみいた)海岸というサーファーにも人気の海岸もあったのですが
震災で地盤が1m下がったことで、砂浜がなくなってしまったのだそう。

吉里吉里海岸も、ぱっと見はとても美しい海岸でした。
でも、砂の中には津波で流されてきた石やお茶碗の欠片などがたくさん埋まっているし、
海の中にもまだまだ瓦礫があるんだそうです。
少し視線を横にずらすと、奥の方に膨大な量の瓦礫が積んであるのも目に入ります。
子どもたちが裸足で安全に遊べるようにと、清掃活動が続いています。

清掃活動は、砂浜をまず1.5m掘り、掘った砂を篩にかける作業です。簡単に聞こえますが、
午前中いっぱいかけて砂を掘り、午後はひたすら掘った砂をふるいます。肉体的にも
なかなか重労働で、大人20人がかりでも進めるのは1日わずかに2-3メートル程度。

私たちが行った6月末でようやく海岸の半分くらいまで来たところでした。
この作業を今後も続け、更に何往復か繰り返していくのだそうです。
気が遠くなるような作業ですが、敢えて重機も入れず、こうして少しずつ少しずつ
進めていくことが、吉里吉里の海を守ることに繋がるし、町の人たちへの気持ちにも
寄り添った活動なんですね。

arifes2012 (10) arifes2012 (6)

私はと言えば、日頃の運動不足もあり、背中からお尻にかけてピキピキと筋肉痛に。
3日間くらいは(止むを得ず)背筋がピンと伸びたことは、ある意味メリットかも。
と、良すぎるくらいのお天気で、相当のデトックス効果もあったはず(笑)

体力的にはややキツい内容でしたが、綺麗になった吉里吉里を見てみたいから、
時間が合ったらまた参加してみたいです。
次は地元の人たちもたくさんいる中で、一緒に活動できたらいいなぁ。
と思うのは、2つ理由があって、
一つは、町の人たちがこういった活動に参加できるようになると、
時間的にも気持ち的にも余裕が出てきたんだなって思えるから。
そして、町の復興は最終的には住民たちでしかできなくて、
外からのボランティアにできるのは一緒に応援することだけなので。


吉里吉里という名前の由来は、踏むとキリキリ鳴る鳴き砂だという説と、
アイヌ語の「白い砂」と2つの説があるそうです。

砂浜は本当に真っ白で、どこまでも透明で青い海が印象的な海岸でした。
この海岸で、元気に走ったり泳いだりしている子どもたちの姿を
見られる日が待ち遠しいです。

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吉里吉里の海はこんなに綺麗です。
右の写真の山の手前にある3つの小山は瓦礫が積まれたもの。

おおつち ありがとうロックフェスティバル <1/4>

6月28日~7月1日に、かながわ(ksvn)の『絆めぐりバス』で大槌町へ行ってきました。
帰ってから随分経っているのに、書きたいことがいっぱいありすぎて全然まとまらず、
ブログ書くのが遅くなってしまいました。長いので、内容別に分割してアップします。


『絆めぐりバス』は、ボランティア活動だけでなく、現地の人たちとの交流や
もっと町を知るためのスタディツアーが組み込まれています。
今回は、大槌町の「ありがとうロックフェスティバル」(ありフェス)に
合わせて運行されました。

3日間で、吉里吉里海岸の清掃、ありフェス運営お手伝い、現地ガイドの方に
案内してもらう大槌町スタディツアーと、盛りだくさんの内容に満腹。
参加できて本当に良かったと思います。

宿泊先の『きらりベース』は、GWに片付けのお手伝いをした場所だったので、
もう一度行きたいと思っていました。きらりのスタッフさんたちにもまたお逢いできたし、
大槌の人たち、一緒に活動した仲間たち、たくさんの素敵な出逢いもありました。
このご縁大切にしたいし、またどこかで一緒に活動できたらいいなと思っています。

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校舎の上と入口に「きらりベース」の文字が。電気も引かれ、入口にドアも付いていました。
右は朝のきらりベース周辺からの景色。

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滞在中何度もお世話になった「おらが大槌復興食堂」と日替わり海鮮丼。
何食べてもどれも美味しかったです。何と言っても、朝からホカホカのご飯と
お味噌汁を用意して頂けたことは幸せでした。

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最終日の朝の集合写真。復興食堂の方やありフェス実行委員長の古館さんも一緒に。
ありフェスが無事終わって、みんないい笑顔をしています。

大槌町 きらりベースのお手伝い

先週、神奈川県のボラバスで岩手に行ってきました。
活動は金土の2日間、大槌北小学校の校舎を利用した「きらりベース」のお手伝い。

「きらりベース」は、同じ敷地内にある「福幸きらり商店街」の自治会を中心に
進めらている復興拠点づくりのプロジェクト。ボランティアが宿泊できるだけでなく、
語り部さんのお話を聞く機会やワークショップなども企画していて、大槌町の復興に向けて、
住民の方とボランティアがこれから一緒に作りあげていく場。
何ヶ月も行政と交渉をしてきて、このGWからボランティアの受入れが始まりました。
大槌町の復興もこれからが本番。町の中からも外からも人が集まるきらりベースから、
大きな力が生まれそうで、これから先がとっても楽しみなプロジェクトです。

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 *大槌北小の校舎と福幸きらり商店街には、たくさんの鯉のぼりが泳いでいました。
  商店街の「福幸」も「きらり」も、大槌の子どもたちが付けた名前だそう。


今回のお手伝いは、物資の片付けと移動、マットレスの運び込みなどでした。
校舎の1階部分が津波の被害を受け、2階は教材や物資が教室に所狭しと置かれています。
この教室を使えるように、積み上げられた物資の箱を整理し、別の教室に運ぶ作業。
単純作業だけど、ノートや辞書や本など、かなり重いものが多い。
そして北小の校舎は広い、というより長い。
校舎の端から端まで、普通の校舎の倍はある廊下を何度も往復しました。
体力的にはなかなかハードでしたが、素晴らしいチームワークによって
ものすごいスピードで作業を完了することができました。


お昼休みはきらり商店街へ。
北小の校庭に建てられた仮設店舗で、40店程のお店が元気に営業しています。
1日目はおにぎりを持ってきていたので、休憩所「きらり駅」を利用させてもらいました。
お母さんたちがお茶を淹れてくれたのが嬉しかったです。
2日目はせっかくだからとお弁当ではなく商店街のお店で食事。
岩手の郷土料理ひっつみ、初めて食べました。他にも色々お店を覗いているうちに、
ついついたくさん買い食いしてしまいました(笑)

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 *きらり駅とひっつみ


商店街では「菜の花 感謝ウィーク!」が開催中、イベントがたくさん企画されていました。
私たちの行った土曜日にも、郷土芸能の臼澤鹿子踊りがあって、作業を一旦中断して見学。
こんなタイミングでお手伝いに来れてラッキーです。

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 *臼澤鹿子踊り


今回きらりでの作業は、支援の難しさも目の当たりにすることになりました。
ミスマッチングにより配れなかった支援物資。せっかくの善意で贈られたものが、
逆に現地に負荷をかける結果になってしまうのは、とても悲しいことでした。

また、教室には子どもたちが通っていたそのままの姿がはっきりと残っており、
子どもたちは無事に逃げられたのかな?今はどうしてるのかな?と考えてしまいます。
きらりのスタッフさんの話では、別の地区に建てられた仮設の校舎に
幾つかの学校が統合され、北小の子どもたちもそこまでバスで通っているそうです。


土曜日は、予定より早く終了したので、赤浜地区まで足を延ばしました。
港の周辺は、地盤が下がってしまったので、1m嵩上げをしたと聞きました。
赤浜小学校には、校庭の端っ子に過去の津波がここまで来たという小さな碑があります。
碑があることを知っていた人たちは、その碑より内側にある校舎に逃げたそうですが、
今回の津波は、その校舎をも呑み込んでしまったんだそうです。

ひょっこりひょうたん島のモデルになった蓬莱島も見ました。
ひょうたん型の小さな島へは、以前は防波堤を歩いて渡ることができたのですが、
津波で防波堤も流されました。少し前に観た大槌町を描いた「槌音」という映画の
お祭りのシーンを思い出しながら、この島を眺めていました。

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 *蓬莱島と赤浜小学校の桜。満開の桜の下ではお花見している人たちもいました。


それでも、大槌町にもちゃんと春が来ていたし、あちこちでお店が始まっていて、
港には船が停まっていて、少しずつだけど福幸に向けて動いています。
「槌音」を観た時に、現地で頑張ってるお父さんの話も聴いて、大槌町に行ってみたいなと
思っていたから、今回の活動先がたまたま大槌で、しかも動き出したばかりのきらりを
お手伝いできて、すごく良かったなと思います。
今度大槌に来る時には、きらりベースに泊ってワークショップも参加したいし、
秋には新巻鮭を食べに来るんだって決めているんです。


牡鹿半島でのお手伝いと3.11に想うこと

先週土曜日に援人さんのボラバスに参加させてもらって、牡鹿半島に行ってきました。
11月以来ぶりのガテン系です。

石巻市の先端にある牡鹿半島は、行政の手が行き届いておらず、まだまだ瓦礫が残って
手つかずになっている場所がたくさんあります。鮎川港のボランティアセンターも、
そのスタッフさえもボランティアの人たちで運営されています。


今回のお手伝いは、鮫浦で五十鈴神社と熊野神社の階段整備でした。
高台にある小さな神社で、お社は無事でしたが、お社に向かう階段がなくなっています。
この鮫浦に住む方の家は全て流されてしまい、今は仮設住宅で生活されていますが、
この神社に今もお参りにくる地元の方々がいます。お年寄りもいます。

少しでも登りやすくなるようにと、道幅が狭くなっているところは土を削って広げ、
ずれた石を直し、石がなくなってしまった箇所には土嚢を積んで階段状に。

3.11を迎える前に、地元の人たちにとって大切な神社の階段が少し整ったことも、
そんなお手伝いができたことも良かったなと思います。


この日の午前中は雪が降っていました。
ボランティアセンターでオリエン時に見せてもらった鮎川港を襲った津波の映像。
あの日の牡鹿も同じような雪が降っていました。

私たちは、何枚も重ね着して、カイロも持ち、しっかり寒さ対策をしてここに来ています。
でもやはり雪の中での作業は寒く、だんだんと手足が冷えてきます。

あの日、着のみ着のままで避難された方々。
もしかするとこの神社に避難した人もいるかもしれません。
電気・ガス・水道全てのライフラインが止まり、余震が続き、津波も翌朝まで来ていて、
真っ暗な中で、全く情報がないまま、救助を待つこと。水に浸かった方もいるはず。
どれだけ寒いか、どんなに怖いか、全く想像もつきません。
当事者ではない私が解るはずもなく、それでも考えているだけで涙が出てきます。


震災から1年。もう1年。まだ1年。色々な想いが巡ります。

私は東京で今年の3.11を迎えました。
たまたま家族全員揃ってのランチ。この日だから集まったのではなく、
ちょっとしたきっかけに、姉の勘違いが重なっての出来事だったのですが、
この大切な日に家族と一緒にいられて幸せだなと感じています。

3.11をどう過ごそう、東北にいたいなとか、都内でセレモニーに参加しようかなとも、
考えてもいましたが、結果として普段通りに過ごせて良かったです。
3.11は一つの節目ではあっても、区切りとは違う気がしています。
この日を境に何かが変わるものではないし、私の中では3月10日も3月12日も同じ気持ちで、
これまでずっと持って来た想いがそのまま明日にも繋がっているから。
なんとなく自分の中で無理に3月11日を「特別な」日にしようとしていたように思います。


この一年は私にとっても大きな変化の年でした。
去年3月ブログを立ち上げ、それまで一言も発したことのないTwitterやFacebookを駆使し、
情報を集めるだけでなく、自分から発信することも始めました。
4月に人生初の災害ボランティアに参加し、それから月1~2回の頻度で東北へ行くことに。
過去に利用したことのない夜行バスも、今や欠かせない交通手段です。
スコップやツルハシを持ったり、土嚢の扱い方も教わりました。
普段だったら知り合うこともない方とも出逢え、Twitterでもたくさんの人と繋がりました。
色々な意味で初めて尽くしの一年だったと思います。

でも、いまだに答えを見つけることのできない質問。私に何ができる?
何度足を運んでも、私自身が役に立ってるとはなかなか思えないし、それどころか、
大自然がたった1日で引き起こしたことに対し、人間ができることの小ささと
自分の無力さを、痛いくらいに感じて帰ってきます。
私が行くことに意味があるのかさえも分からず、落ち込むことも度々です。

それでも東北へ行きたいと思うのは、そこに人がいるから。矛盾しているけど、
自分にできることがないから、逆に何度でも行きたいと思っていたりします。


東北の復興はこれからが本番。もっともっと様々な形でサポートが必要になります。

ようやく瓦礫が片付いて、復興に向け少しずつ動き始めた場所もあります。
牡鹿のように、まだ復旧にも時間がかかっているところもあります。

片付けられた瓦礫も、街の中に積み上げられているだけです。
瓦礫が無くならないと、工場や建物などの建設なども進まず、街が戻りません。

今、牡鹿半島ではワカメの収穫のピークを迎えていますが、加工する人が足りなくて、
アルバイトやボランティアを募集しているそうです。
先日お話を伺った大槌町の方は、町の主要産業である加工工場をみんなで再建したけど、
加工する魚が入ってこない。工場があっても仕事がないと仰ってました。
人手が足りない牡鹿、魚のない大槌。
仕事をしたくても仕事ができない。これはあちこちで起きているのだと思います。

もともとの高齢化&過疎化に加え、仕事がないからと町を離れる人も増えています。
漁港が早く戻らなければ、魚が獲れなければ、町はそのまま衰退してしまいます。

この一年必死で頑張ってきた人たちもいます。
だけど、その中にも、先が見えないことへの不安を感じている人もたくさんいます。
仕事が見つからず、失業保険や生活保護で何とか生活している人もいます。
一方で動き出せずにいる方もいます。アル中やDVも増えているそうです。

子どもたちの教育環境も整っていません。
間借りした校舎や仮設の校舎で授業を受ける子どもたちもいます。
仮設住宅には勉強をする場所のない子どもたちもいます。

福島には外で遊べない子どもたちがたくさんいます。
家族や友達と離れて避難して、集落がバラバラになってしまったところもあります。

地域によって個人によって、それぞれみんな事情が異なります。
だからサポートの仕方もいろいろ。


私としては、今はただ、小さなアクションを一つ一つ積み重ねながら、ゆっくりでも、
できるだけ長く東北に関わっていけたらと思っています。
早く東北に元気と笑顔が戻ることを願って。

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鮫浦の五十鈴神社。右は完成した土嚢階段。

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五十鈴神社から見たエメラルドグリーンの海と、その反対側に広がる光景。
左の写真の白い固まりは熊野神社の階段の麓で、援人さんが2月に作った土嚢階段。

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ボランティアセンターの向かい側で頑張ってる「おしかのれん街」
お昼に食べたクジライスも、夜のお寿司もここのお店から。美味しかったです。


南三陸の仮設住宅でドラムカフェ体験してきました!

日曜日にドラムカフェジャパンさんの活動を見学させて頂きました。

ドラムカフェは、南アフリカでアパルトヘイト撤廃後の国民の融和策のひとつとして、
ジェンベというアフリカ伝統の太鼓を使って人と人を結び付ける活動から始まりました。

ドラミングは、脳も身体も使うので、脳の活性化、ストレス解消、集中力アップ、
コミュニケーション力アップ、チームワーク向上など、様々な効果がある他、
PTSDやトラウマなどのケアにも使われているそうです。

仙台に本社のあるドラムカフェジャパンは、震災後、彼らもまた被災している中で、
自分たちにも何かできないかと、5月から「にこにこスマイルプロジェクト」を立ち上げ、
3ヶ月の間に60箇所以上の避難所などを訪問しています。
9月からは、国際NGOプランジャパンと一緒に「みんなで笑顔!プロジェクト」として
中学・高校と仮設住宅などで月20回のプログラムを展開中。
心のケアだけでなく、地域コミュニティ再生の手助けにもなる、そんなプロジェクトです。


今回伺ったのは、南三陸の仮設住宅。
集会所には、開始時間よりもかなり前から待っている方もいて、今回のイベントを
とても楽しみにしているのが分かります。といっても、皆さんジェンベを見るのも
初めてで、これから何が始まるの?と言った雰囲気も。
(中にはラテンの音楽が聴けるらしいと、集まってきた人もいたみたいです。)

最初はみんな少し遠慮がち。後ろの方の席に座る方や、ジェンベをお渡しすると
私はやらなくていいわ~って言う方も。でもそんなのは始まるまでの一瞬だけ。

アフリカから来ているプロのアーティストさんの、とびきりのスマイルと
「イイネー!」「サイコー!」「笑って!」のかけ声に、あっと言う間に引き込まれ、
見よう見まねで叩いているうちに、すぐに笑顔がこぼれ始めます。

まずは簡単なリズムから、少しずつ難しいリズムの練習。
時々アーティストさんのフェイントに騙されて、誰かが間違って叩いてしまう。
すると、アーティストさんからすかさず「えー、ちゃんと見てー」の声。
それに反応してみんなも爆笑。
ジェンベを叩くだけでなく、時々変なポーズや顔もさせたり。
そんなやり取りで、どんどん笑顔が増える。皆さん本当にいい顔してました。

終盤では、隣の人と肩を揉みあったり、マラカスやタンバリンを持ち前に出て踊ったりも。
普段なら照れが出てしまいそうな、こういったことも、ドラミングで気持ちがほぐれて、
気分も抑揚しているので、みんなノリノリ。
外には前日の雪が残る寒い日でしたが、集会所の中はみんなの熱気で暑いくらいに。
40分くらいのプログラムは、あっと言う間に終了しました。

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   ※ 撮った写真がショボくて楽しさが伝わらないかも。。
   にこにこスマイルプロジェクト ブログで、もっと活き活きした写真を見てください。


終わった後は、自然な流れでお茶っこ飲みに。
みんなで一体になった直後だから、すごくいい雰囲気。一緒にテーブルを出し、
お茶の準備をして、アーティストさんもボランティアスタッフも混ざって
しばらく賑やかな時間が続いていました。

プログラム中に撮った写真は、その場でプリントして集会所にポスターとして飾られ、
参加した人に写真のお渡しも。こういう心遣いすごくいいなと思います。

印象的だった仮設の代表の方の感想。
「本当にたくさん元気をもらいました。それに尽きます!」
その言葉が全てを語っている気がします。


子どもから高齢者まで、上手いとか下手なども関係なく、みんなが楽しめる、
そんなドラムカフェの魅力を体験できた1日でした。
今回このような機会を頂けたことにとても感謝しています。
ドラムカフェのH様、アレンジして下さったT様、どうもありがとうございました。


おまけ。
ドラミングやってみたい方は、8月に来るドラムストラックというパフォーマンスへぜひ。
観客全員(東京公演は700人規模!)でジェンベを叩くので、すごい迫力だし、
運動した後のような軽い疲労感とスッキリ感が味わえて、オススメです。
 ※HPはまだ更新されていませんが、facebookやtwitterで最新情報出ています。
http://www.facebook.com/drumstruck.jp
http://twitter.com/#!/drumstruckjapan



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